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義時の妻 比奈(姫の前)の生涯 実家と嫁ぎ先の争いに巻き込まれた悲劇の生涯

こんにちは!レキショックです!

今回は、北条義時の正妻の姫の前の生涯について紹介します。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では「比奈」として出演している姫の前は、比企一族の出身で、吾妻鏡では義時が1年以上にわたって恋文を送ってやっと結婚にこぎつけたというほどの美貌の持ち主だったと伝わります。

しかし、北条氏と比企氏が対立するに従い、義時と姫の前をめぐる環境は変わっていき、北条と比企をつなぐ象徴だった姫の前の運命も暗転していきます。

今回は、姫の前の悲劇の生涯、北条泰時と対立するに至った姫の前の子どもたちのその後について紹介します。

義時の懸命な求婚についに折れる

姫の前を妻とした北条義時

姫の前は、比企一族の比企朝宗の娘として生まれました。

比企朝宗は、源頼朝の乳母の比企尼と比企遠宗の実子として生まれ、幕府の御家人となっていた人物です。

比企氏の家督は、比企尼の甥である比企能員が継承したため、比企朝宗は比企能員のもと頼朝に仕えることになり、源平合戦、奥州合戦で活躍していました。

比企朝宗は、北条政子に仕えていた越後局を妻としており、その娘として姫の前は生まれています。

姫の前は成長したのち、鎌倉の大蔵御所で、女官として源頼朝に仕えていました。

姫の前は大変な美貌の持ち主だったと伝わっており、頼朝も大のお気に入りだったといいます。

鎌倉幕府初代将軍 源頼朝

吾妻鏡には、大変美しく、頼朝のお気に入りでもあったことから、並ぶもののいない権勢の持ち主だったと記述されており、幕府に仕える御家人たちの間でも羨望の的となっていたと考えられます。

そんな姫の前に心を奪われ、熱心にアプローチを続けていた御家人の1人が北条義時でした。

北条義時は、奥州合戦が終結し、戦が一旦無くなった頃から、姫の前に熱心に恋文を送っていました。

この頃の義時は、20代後半の若者で、まだ歴史の表舞台に立つような活躍はしていなかったものの、頼朝の義理の弟として頼朝の信頼も厚く、将来有望な若武者でした。

しかし、姫の前は義時の恋文には目もくれず、義時は1年間にわたり姫の前に恋文を送り続けますが、姫の前は一向になびかなかったといいます。

これを見かねた源頼朝が2人の間を取り持ち、頼朝は義時に絶対離縁しないと起請文を書かせて、ついに義時と姫の前は結ばれることとなりました。

この縁組には、源氏将軍家の外戚同士、結びつきを深めてほしいという頼朝の思いもあったことでしょう。

北条氏は、北条政子が頼朝の妻となりのちの2代将軍源頼家、3代将軍源実朝を産んでいます。

2代将軍 源頼家

一方、比企氏からは、比企能員が源頼家の乳母父となり、比企尼の次女、三女、そして比企能員の妻らが乳母となるなど、それぞれ源氏将軍家と深いつながりを持っていました。

東国において勢力基盤を持たない頼朝にとって、北条氏、比企氏は自らを支える大事な後ろ盾で、両家が手を取り合って、子の頼家、実朝を支えていくのが理想だったでしょう。

しかし、頼朝の思いも虚しく、やがて両家は幕府の主導権を巡って激しく対立し、両家の結びつきの象徴であった姫の前の運命も狂っていくこととなります。

実家と嫁ぎ先が対立 比企氏滅亡後の姫の前

義時と姫の前の子 北条朝時

姫の前は、義時との間に北条朝時、北条重時、竹殿と3人の子をもうけ、夫婦関係も良好な中、日々を送っていました。

しかし、源頼朝が亡くなり、源頼家が2代将軍として跡を継ぐと、北条氏と比企氏の争いは激しさを増していきます。

源頼家には、比企氏の他にも梶原景時が後見人としてついていましたが、御家人の恨みを買って失脚してしまってからは、比企能員を中心とした比企氏が頼家を支えていました。

比企能員は自身の娘の若狭局を頼家に嫁がせ、若狭局は頼家との間に嫡男の一幡を産んでいます。

これに危機感を抱いたのが北条時政でした。

源頼家の祖父にあたる北条時政

時政は北条政子が源頼朝と結ばれ、嫡男の頼家を産んだことで、源氏将軍家の外戚の立場を手に入れていましたが、源頼朝の死によってその特権的な立場は比企能員に移り、北条氏は将軍家とのつながりの面では比企氏に劣る形となってしまっていたのです。

この頃はまだ北条政子尼将軍と呼ばれるほどの権力は有しておらず、将軍の母という立場だけでは何もできない状態でした。

一方、比企能員としても、外戚として頼家のもと権力を握るにあたって、1番の障害となるのが北条時政でした。

このような状況下、北条時政は比企能員を自邸に呼び出し、謀略をもって討ち果たしてしまいます。

そして能員の死を知って屋敷に立てこもる比企一族を攻め、比企一族は源頼家の子、一幡とともにそのほとんどが命を落としてしまいました。

生き残った比企一族は、その縁者までもが一味として罰せられ、ここに比企一族は滅亡することとなってしまいます。

この状況下、北条義時は、比企一族の娘である姫の前と離別しています。

そして姫の前は、義時との間にできた子を鎌倉に残して、単身上洛し、京都の貴族である源具親に嫁ぎました。

源具親は、父の代から歌人として活躍しており、妹の宮内卿とともに、後鳥羽上皇のもとで和歌の達人として仕えていた人物でした。

姫の前は、具親との間に源輔通源輔時をもうけましたが、嫁いでから3年あまりで亡くなったとされています。

こうして、北条と比企をつなぐ象徴として義時に嫁いだ姫の前は、実家と嫁ぎ先の対立を防げず、最終的には実家を滅ぼした北条義時によって北条家も追い出されることとなってしまったのです。

姫の前の子どもたちのその後 本家に反抗する子孫たち

義時と姫の前の間に生まれた2番目の子 北条重時

姫の前は、北条義時との間に、北条朝時、北条重時、竹殿の3人の子をもうけました。

北条朝時は名越流、北条重時は極楽寺流という北条氏の分家の祖となり、北条義時の跡を継いだ北条泰時を支えていくことになります。

北条泰時は母が誰であったか記録に残っていない一方、朝時、重時の母は正妻の姫の前であったことから、特に朝時の家系は、泰時の得宗家に対して強烈な対抗心を抱いていくことになります。

とはいっても、北条泰時は義時の死後、義時の後妻であった伊賀の方が実子の政村を跡継ぎにしようとした伊賀氏の変を経て、正式に北条の後継ぎとなっており、朝時、重時兄弟も兄を支える役割に徹することとなります。

義時の跡継ぎ 北条泰時

朝時は若い頃に、3代将軍源実朝の妻の女官に夜這いしたことを実朝に咎められ、一時期蟄居していたこともありましたが、和田合戦承久の乱で武功を挙げ、越後、加賀など北陸諸国の守護を務めるなど北条一族として有力な地位を保っていました。

この頃、母の姫の前が再婚した源具親の子である源輔時を猶子としており、母への思い入れの強い人物であったことが伝わってきます。

しかし、兄の泰時が3代執権になると、兄に仕えることを良しとしなかったのか、役職を辞任し、幕府の中枢からは外れていきます。

また、泰時の死の直後には朝時が反執権勢力を糾合して反乱を起こすとの噂が流れ、御所が厳重に警固されるなど、朝時は反泰時勢力と目されることとなりました。

朝時は謀反を起こさなかったものの、朝時の子、北条光時、北条教時は、姫の前の子孫である自分たちが義時の正統な後継者であるとして、北条泰時の子孫の得宗家に対して度々反乱を起こします。

光時は4代将軍藤原頼経と共謀して、5代執権北条時頼に対して宮騒動を起こし、所領を没収されています。

鎌倉幕府4代将軍 九条頼経

また、北条教時は、二月騒動で兄の北条時章とともに北条時宗に滅ぼされており、朝時の名越流は得宗家によってその牙を抜かれることとなりました。

一方、極楽寺流の祖となった北条重時は、反抗的だった兄の朝時とは違い、得宗家を忠実に支える立場に徹し、鎌倉幕府の西の押さえである六波羅探題の責任者を長く務めています。

5代執権北条時頼の代には、執権を支える連署に就任し、息子の北条長時は父の跡を継いで六波羅探題の責任者を務めたのち、北条時頼の跡を継いで6代執権を務めました。

長時の家系は赤橋流として続き、16代執権の北条守時を輩出したほか、室町幕府初代将軍の足利尊氏の正室、赤橋登子も出るなど、鎌倉幕府を支え続けていくことになります。

室町幕府初代将軍 足利尊氏

また、重時の娘は北条時頼の正室となっており、元寇に対処した8代執権北条時宗を産むなど、得宗家とは良好な関係を維持し続けました。

姫の前との間に生まれた竹殿は、はじめは政所の別当、大江広元の嫡子、大江親広に嫁ぎましたが、親広が承久の乱で朝廷側につき逐電したことから離縁し、かつて源頼朝の入内工作を支援した源通親の子である土御門定通と再婚しています。

竹殿は、六波羅探題の責任者に就任した兄の北条泰時、北条重時と連携し、六波羅探題と土御門定通をつなぐ役割を果たし、京都と鎌倉の関係強化に貢献しました。

このように、姫の前の子は、兄弟間で得宗家と対立する道、補佐する道と別れることとなったものの、その出自の高さから北条義時の死後も幕府で重要な役割を果たすこととなったのです。

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