色々な歴史上の人物を調べていて思う事。それは、
「歴史に名を残す人は、意外とイケメンが多い!」
という事です。
この記事では、日本史上の人物で、特にイケメンな人物を10人ご紹介いたします。
ぜひ最後までご覧ください!
1.山岡鉄舟
山岡鉄舟(Wikipediaより引用)
幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。
勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称されています。
徳川慶喜から新政府軍との交渉役を依頼され、
新政府軍参謀の西郷隆盛と徳川家の処遇や戦闘回避の条件について協議を行いました。
徳川慶喜(Wikipediaより引用)
江戸無血開城といえば、勝海舟と西郷隆盛のイメージが強いですが、
鉄舟も実現に大いに貢献しました。
2.近藤勇
近藤勇(Wikipediaより引用)
江戸時代末期の武士。
天然理心流四代目宗家。
新選組局長。
愛刀の「虎徹」や、拳が口にすっぽり入ってしまうほど口が大きかったなど
今でも語り継がれるエピソードが多くありますね。
幕末の京都で尊王攘夷運動の弾圧活動をした新選組は、
1864年の池田屋事件などで活躍し、
局長であった近藤の名も知れ渡っていきます。
鳥羽伏見の戦いで敗れ、新選組が江戸に駐屯したのち、
近藤は新政府軍に捕縛され、
35歳の若さで斬首されました。
3.土方歳三
土方歳三(Wikipediaより引用)
幕末期の武士、新選組副長。
組の規律守るための「局中法度」を徹底的に浸透させ、守らせました。
新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、
戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦しましたが、
最後の戦場である箱館五稜郭の防衛戦で戦死しました。
女性からの恋文を一つにまとめた「婦人恋冊」という小冊子が残ってるほどに
モテまくりだったそうです。
4.榎本武揚
榎本武揚(Wikipediaより引用)
日本の武士。化学者。
11歳の頃、アメリカから帰国したジョン万次郎に影響を受けました。
ジョン万次郎(Wikipediaより引用)
五稜郭の戦いで敗北し、東京の牢獄に2年半投獄された後、
敵将・黒田清隆の尽力により助命され、釈放後、明治政府に仕えました。
黒田清隆(Wikipediaより引用)
開拓使長官だった黒田のもとで北海道開拓を精力的に実行し、
1875年、特命全権大使として樺太・千島交換条約を締結しました。
樺太・千島交換条約(Wikipediaより引用)
5.内田康哉
内田康哉(Wikipediaより引用)
日本の外交官、政治家。
キリっとした端正な顔立ちですね。
明治・大正・昭和の3代にわたって外務大臣を務めた唯一の人物です。
通算外相在職期間7年5か月は、現在に至るまで最長です。
1932年、
「国を焦土にしても満州国の権益を譲らない」
という焦土演説を行い、外交評論家の清沢洌に
「国が焦土となるのを避けるのが外交であろう」
と批判されます。
西園寺公望も、
1920年代の国際協調時代の代表者である内田の外交姿勢の急転向に驚愕し、落胆したそうです。
西園寺公望(Wikipediaより引用)
6.山本権兵衛
山本権兵衛(Wikipediaより引用)
日本の武士(薩摩藩士)、海軍軍人、政治家。
勝海舟と共に「海軍の父」と呼ばれます。
薩摩閥のエリートでしたが、昔は問題を起こすこともあったようで、
海軍中尉時代には、榎本武揚によって一時的に解職されたことがあります。
総理大臣を二度経験していますが、
一度目はシーメンス事件によって、二度目は虎の門事件によって、
総辞職を余儀なくされています。
7.東郷平八郎
東郷平八郎(Wikipediaより引用)
日本の武士(薩摩藩士)、海軍軍人。
ザ・日本男児といった面持ち。
なんとなくダウンタウンの松本〇志さんに似ているような…
存命中に元帥の称号を授与された7名のうちの1人です。
日露戦争の日本海海戦では、連合艦隊司令長官として
バルチック艦隊を破りました。
敵の目前で左に進路をとり、敵の進路を妨げながら砲撃するという
「丁字戦法」をとりました。
これは「東郷ターン」とも呼ばれています。
世界初のニュース雑誌である『TIME』誌で、
日本人として初めての表紙を飾りました。
8.南方熊楠
南方熊楠(Wikipediaより引用)
日本の博物学者、生物学者、民俗学者。
生物学者としては「粘菌」の研究で知られています。
他にも、十数ヵ国もの言語を習得し、約14年間もの間海外を放浪して研究を続け、
「知の巨人」とも呼ばれた日本人です。
小さい頃、『和漢三才図会』という百科事典105巻を筆写・記憶し、
その後も、生涯に渡り、厖大な数の書籍を読み写していきました。
総合学術雑誌『ネイチャー』には生涯51本の論文が掲載され、
単独名の論文掲載としては歴代投稿者の中での最高記録です。
1897年、留学中の大英博物館で、
亡命中の孫文と知り合い意気投合しています。
孫文(Wikipediaより引用)
9.福澤桃介
福澤桃介(Wikipediaより引用)
明治から昭和初期にかけて活動した
日本の実業家。福澤諭吉の婿養子。
相場師として、日露戦争後の株式投機で財を成し、
その後は主に電気事業へ関与し、「電気王」「電力王」と呼ばれました。
晩年は、オッペケペー節で有名な川上音二郎の未亡人・川上貞奴を伴侶とし、
貞奴も、事業面や実生活で桃介を支え、仲睦まじく一生を添い遂げました。
川上貞奴(RekiShockによる撮影)
10.芥川比呂志
芥川比呂志(Wikipediaより引用)
日本の俳優、演出家。
作家である芥川龍之介の長男。
なんとなく面影がありますね。
芥川龍之介(Wikipediaより引用)
1955年、「文学座」が上演した『ハムレット』では主演をつとめ、
「貴公子ハムレット」の異名を持つほど、現在でも伝説として語り継がれています。
「劇団四季」の名付け親でもあります。
仏語で「四季」は「八百屋」の意味もあることから、
「新鮮な舞台を届けよう」
という思いが込められているそうです。
いかがでしたか?
好みのイケメンはいましたか?(笑)
本記事には登場しなかたったけど、この人もイケメンだよ!って人物がいたら、
是非教えてください!
それでは。